大学生活:Q2

Q2:通学時に感染しないか心配です。

A2:

通学時に感染するリスクはないとは言えませんが、リスクの高い状況を避け適切な感染対策を講じることで、そのリスクは「無視できるレベル」まで低減できます。

まず知ってもらいたいのは、通勤時や通学時に感染することを明確に示す科学的証拠はありません。もちろん確固たる証拠を得ることが難しい事象であることも、証拠がない理由の1つです。しかし、これだけの感染者が全国(あるいは世界で)で報告される中で、特定の電車や路線バス車両が共通の感染場所となった患者クラスターは確認されていません。これは、満員電車が危険と考えることと矛盾します。

一方、では満員電車で感染する可能性はまったくないのかと言われたら、これを否定する根拠がないことも事実です。つまり科学的に言えば、満員電車の車内のような環境では、感染リスクが高まる蓋然性が存在するものの、それが事実とする根拠は得られていない、ということになります。

このような状況下、鉄道会社は鉄道車内の感染リスクをできるだけ排除するために、国と連携の上で「鉄軌道事業における新型コロナウイルス感染症対策に関するガイドライン」を策定し、適切な感染防止対策を実施しています(こちらこちら)。

上記の事実を知ってもらった上で、通学時の感染リスクにどう対応すれば良いか、少し考えてみましょう。

まず、電車などの公共交通機関を利用する場合についてです。ここで気をつけるべき1つ目は、他人が触れた物に直接手を触れることで起こる、いわゆる接触感染のリスクです。接触感染は、感染者由来のウイルスを含む体液(唾液、飛沫など)が大量に付着した場所(電車の手すり、ドア、手すり、洗面所の蛇口など)に直接手で触れることでウイルスが手指につき、その手で口や目、鼻の粘膜を触れた場合に、ウイルスが体内に侵入し感染が成立することを言います。これを防ぐために次の対策が有効です:①できるだけ他の人が触れる場所には触らない、②触れた場合はその手で顔を触らない、③できるだけ早いタイミングで手指の手洗い・消毒を行う。特に③に関連して追記すると、公共の場所の水道を使用する場合は注意が必要です。手を洗った後で不用意に水道の蛇口を触ってしまうと、蛇口に付着しているかもしれないウイルスが再び手を汚染する可能性があります。また②に関連しては、多くの人は電車などで移動中、無意識に顔を手で触っているという調査報告があります(こちら)。感染を防ぐためには、顔を触らないことを強く意識することが必要です。

次に飛沫感染のリスクです。公共交通機関を使用する場合には、一時的に人と人との距離を十分確保できなくなることがあり(例えば満員電車の車内)、近くにいる人からの感染リスクが心配されます。ここで執れる対策は以下のとおりです:①ラッシュアワーなど混雑が予想される時間帯はできれば公共交通機関に乗らない、②できるだけ混雑しない車両を選んで乗車して人との距離を十分確保する、扉付近の場所を確保し、自分の顔を扉に向けて立つ(ただしこの場所が混雑している時は避けてください)、車両内で話をしている人、咳やくしゃみをしている人からできるだけ離れる。以上の対策で特に効果的なものは①と②を組み合わせることです。③と④を実践するのは簡単ではありませんし、状況により効果には疑問もあります。③と④はあくまでもリスクを低減するための技術的な一提案と受け取って下さい。

また車両以外の場所でも人との距離が近くなる局面が通学時に生じます。具体的な状況についてはこちらのQ&A回答を読んでください。加えて、不特定多数が共用するトイレや洗面所も感染リスクがあります。このような共用施設で感染者が歯磨きやうがいをした場合、ここが感染の場となりクラスター感染が発生した事例が報告されているので、注意して下さい。

以上述べたように、基本的には通学時の感染に対し過度に心配する必要はありません。満員電車等、状況により心配が残る場合は、適切な対策を講じることで安心感を得てください。しかし、それでも心配が消えない人、また特別な事情があり通学による感染リスクを避けたいという人は、信頼できる教職員や大学の窓口(学生のみ)に連絡し、対策について相談して下さい。

 

追記:2020年3月、当時の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(厚生労働省)は、もし電車の中で近距離での会話がなされた場合は感染の危険がある、と発言しています。この話の趣旨は、いわゆる3つの「密」が揃う条件で高い感染リスクが生じることを説明するものであって、電車そのものが危険であると言明したものではありません。またかつて(2020年7月ごろまで)、電車に高い感染リスクがあると言った専門家もいましたが、本Q&Aでも説明した通り、コロナ禍が始まって1年以上経過する中、電車内での感染事例が見当たらないことから、今ではその見解は正しくはないと認識されています。